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伊藤伝右衛門2012年02月28日 21:59


今日はドンヨリとした一日でした。
午後からは雨も降ってきたし...
清々しい晴れ間は一瞬で、週末まで天候は回復しそうにありません(>_<)

2012.02.28_16:05

只今、飯塚市内各地で「雛(ひいな)のまつり」が開催中です。
市内の商店街を中心に旧長崎街道沿いのあちらこちらで雛人形を展示しています。
飯塚の華やかなりし時代を偲ばせる、なんともノスタルジックなイベントなのです。

その中でも最も賑わう会場は、以前のブログ「筑前いいづか雛のまつり」でも取り上げました、「旧伊藤伝右衛門邸」です。
今日も朝の情報番組で中継されていましたね。

この時期ではありませんが、誠心園でも何度か見学に行ったことがあります。

旧伊藤伝右衛門邸_外壁    旧伊藤伝右衛門邸_入口

その粋を凝らした豪邸は、広大な庭園と共に歌人・柳原白蓮が日常起居した建物として飯塚市内に残る数少ない石炭遺産であるとともに「筑豊の炭鉱王 伊藤伝右衛門」の功績を伝える唯一の文化財です。

旧伊藤伝右衛門邸_和洋折衷    旧伊藤伝右衛門邸_庭

和洋折衷の旧伊藤邸内は、どの部屋も細部にまでこだわっており華麗で贅を尽くした屋敷に仕上げられていて、古臭さ等は全く感じません。

旧伊藤伝右衛門邸_廊下    白蓮の部屋
チューリップの引手    洗面台

特に白蓮の居室(2階)は、日本庭園を一望できる見晴らしの良い部屋で、銀箔で作られた押入れや水上泰生が描いた蝶をあしらった天袋など様々な意匠が凝らされており、白蓮の歓心を得るための細工さえあったとされるほど、豪華絢爛な造りとなっています。


伊藤伝右衛門邸_看板

伊藤伝右衛門
といえば地元の方であれば、知らない人はいないと思いますが、筑豊御三家より後発で成り上がった"筑豊の炭鉱王"と言われた実業家です。

後に、
炭鉱の開発により一代で財を成した彼は、貝島太助・麻生太助・安川敬一郎・堀三太郎とあわせて、『筑豊の五大炭鉱王』 と呼ばれました。
彼らは炭鉱業以外にも力を注ぎ、明治時代の近代工業化や経済発展に大きな影響を与えただけでなく、地域の福祉や教育環境にも大変貢献しています。
炭鉱経営で巨万の富を築いた伊藤伝右衛門は社会への還元にも意を用い、1910年(明治43年)には嘉穂郡立技芸女学校(福岡県立嘉穂東高等学校の前身)の創設にあたり資金を寄付しています。

伊藤伝右衛門は万延元年(1860年)現往の飯塚市に生まれた。
貧しい家の長男として、幼少期には丁稚、魚の行商、船頭など転々としながら赤貧生活を続けていました。やがて父と手掛けた炭鉱事業が時流に乗って隆盛を極め、明治36年には衆議院議員にも当選しています。明治43年には伝右衛門と長年苦楽を共にした妻ハルが45歳で病死。その後、運命の女性、歌人・柳原白蓮(やなぎはら・びゃくれん)と再婚するのですが、そこから悲劇の物語は始まるのです。 裸一貫からたたき上げ、ここまで登り詰めた伝右衛門が、白蓮との離婚劇"白蓮が駆け落ち"(="白蓮事件")を起こしたのはあまりにも有名です。

結論から話すと、伝右衛門と白蓮の結婚生活は10年間続きました。白蓮35歳の時に、7歳年下の雑誌記者との恋に心を寄せしまうのです。意を決した白蓮 は、朝日新聞紙上に格調高い流麗な文章で、伝右衛門に「公開絶縁状」を叩きつけました。著名な歌人であり、「筑紫の女王」と呼ばれた白蓮が、筑豊の炭鉱王 を捨て、7歳年下の愛人との駆け落ちというスキャンダルに世の中は騒然となりました。

伊藤伝右衛門邸_門


伊藤伝右衛門邸_全景


【旧伊藤伝右衛門邸の概要】
この建物は筑豊の著名な炭坑経営者であった伊藤伝右衛門の本邸として明治30年代後半に建造。大正初期、昭和初期に数度の増改築が行われました。
高い塀は旧長崎街道に面しており、昭和2年に焼失した福岡市天神町にあった別邸(通称銅御殿)から移築された長屋門や、伊藤商店の事務所が目を引きます。邸宅は南棟(正面)、北棟(庭側)、両者を結ぶ角之間・中之間棟、玄関・食堂棟、繋棟の家屋5棟と土蔵3棟からなり、池を配した広大な回遊式庭園を持つ近代和風住宅です。
建物の見所は和洋折衷の調和のとれた美しさ。当時先進的だった建築技術や、繊細で優美な装飾を随所に見ることができます。また、柳原燁子(白蓮)が伝右 衛門の妻として約10年間を過ごしたゆかりある地であり、伝右衛門や白蓮に想いを馳せる場でもあります。筑豊における石炭産業の歴史と、これに関わった伝右衛門たちの人生を物語る貴重な遺産です。

【建物の概要】
 飯塚市幸袋300番地
 敷地面積 約7570㎡(約2300坪)
 建物延床面積 約1020㎡(約300坪)
 飯塚市有形文化財(平成18年9月26日指定)

元々は個人→会社の所有でしたが、平成14年に所有者である日鉄鉱業㈱より飯塚市へ売却の申し出があり、市では「地元の貴重な歴史的遺産が存続でき る方策を探りたい」と購入を含め具体的な検討に入ったのですが、財政的余裕がなく、すったもんだとありまして、建物が取り壊される寸前まで具体策は出ず・・・
民間団体やボランティアが"保存を願う会"や地道な署名・募金活動を行う一方で、結局平成17年に飯塚市が日鉄鉱業㈱から土地を1億4900万円で取得し、建物は無償譲渡されることとなりました。
何とか取り壊しを免れたのです。

何故これほどまでに地元住民が旧伊藤伝右衛門邸の保存を望んだのでしょうか?

もちろん「筑豊の炭鉱王」伊藤伝右衛門の裸一貫から巨万の富を得て建築した、歴史的・文化的価値のある建物だということもありますが、背景には筑豊における石炭産業の歴史と、日本近代史に残る世紀の恋愛事件、世に言う「白蓮事件」があるからではないでしょうか?

伝右衛門邸はこれに関わった伊藤伝右衛門と柳原白蓮の人生を物語る貴重な遺産です。歴史を華やかに彩った人たちは露と消えていますが、在りし日の面影は今も地元に残っています。炭坑という負の遺産も「産業観光」として甦りつつある時代にあってこそ、この壮絶な悲恋物語 が、ボタ山に咲いた一輪の花のように、静かに心に語りかけてくるのです。

このような悲しい物語(ストーリー)を知った上で、白蓮と同じ目線で2階から眺める景色は、また違って映るのではないでしょうか?

庭から見る白蓮の部屋    白蓮の部屋からの景色

近くにお越しの際は、是非お立ち寄りください。(^_^)/~

『第12回筑前いいづか雛(ひいな)のまつり』

【アクセス】

旧伊藤伝右衛門邸_地図
*クリックで拡大します。



 

 

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