今朝、05:30頃の空です。
綺麗な朝焼けが見えました。
一般的に
「朝焼けの後には雨が降る」と言われることが多いようですが、今日のお天気は見事に当たり、午後からはドシャ降りでした。(T_T)
天気が西から東へと移ることの多い日本では、朝焼けは、すでに通り過ぎた空に雲がないことを示します。つまり、そろそろ次の天気がやってきますよ、という意味でしょうか。
8月20日、元大関
魁皇こと
浅香山親方が、引退後初めて福岡県
直方市に帰郷しました。
集まったファンからは、傷だらけで達成した通算最多勝の偉業と、23年に及んだ土俵人生からの引退に、温かい言葉が贈られました。
本当にお疲れ様でした。
私が学生の頃から活躍していたので、年配のイメージがあったのですが、なんとまだ39歳。
年齢も生まれた所もほとんど変わらない自分は何をやってきたんだか・・・反省(*_*)
先日行われた引退会見も印象的でした。
こんなに穏やかで清々しい引退記者会見はあったでしょうか?
最多勝記録:通算1047勝という、前人未到の大記録を残しての引退です。
引退会見と言えば、涙涙・・・で不完全燃焼のイメージがありますが、彼は本当に悔いは残っていないのでしょう。
相撲が日本一・・・強いわけでもない。
相撲で日本一・・・優勝を重ねたわけでもない。
相撲で日本一・・・連勝を重ねたわけでもない。
角界で人一倍・・・頑丈な体に恵まれたわけでもない。
15歳から満身創痍で、ただひたすら相撲を取り続けた23年・・・
通算で
700回負けてしまったが、何と
1047回も勝っているのです。
この記録がどれだけのものなのか想像すらできませんが、大相撲の記録としては、どんな記録よりも達成が難しいのかもしれない。
「継続は力なり」とは、まさにこの事。
それに、とうの昔に引退した、あの
"若貴兄弟"や
"曙"が同期というのだから、現役23年という長さをリアルに感じさせる。
「大関魁皇」は、他にも様々な
記録を残しています。
そして、地元の人が必ず口にするのが、
幕内優勝5回もしているのに、横綱になれなかった・・・かつての甘口昇進基準なら、魁皇は平成16(2004)年秋13勝(優勝)、九州12勝で昇進した可能性もあったと思う。しかし、
「横綱魁皇」であれば翌年には引退していたでしょう。
「綱を取っただけの三流横綱」と言われて・・・
その後の魁皇は、白星が黒星にかろうじて先行する、低空飛行に終始しました。
怪我が多く、また体重も増えすぎて動きも鈍くなった。
しかし、魁皇は
7年間も大関を陥落することなく現役を全うした。
「運・根・鈍」を体現した23年余の土俵人生。
この間に外国人力士の不祥事、八百長事件などで相撲界は大きく変化。
昨今の魁皇はその存在自体が
「大相撲の良心」のようになっていました。
この
「大関魁皇」の大記録は、そんな角界に久し振りの嬉しい出来事となりました。
魁皇は引退届を提出して受理され、年寄
「浅香山」を襲名し、後輩の指導にあたっている。
さて、
「大関魁皇」が退いた角界!
気付くと周りは外国人力士ばかり・・・
今後どんな力士が角界を支えてくれるのだろうか?
期待していますよ!日本人。
継続することの難しさ。
と、継続した結果の素晴らしさ。
成功の秘訣は兎に角、続けることと皆さん口を揃えて言われます。
継続することの難しさはあまり言いません・・・。
船に乗ると近くばかり見て酔っ払いますが、遠くを見てると酔いません。
つまり遠くの目標、理想を追い求めれば道に迷うことなく突き進めますが、
近くの現実ばかり見ているとふらふらと迷ってしまいます。
だからこそ理念や高い志が大切だと思います。
自分たちは何を求めているのか、何を行おうとしているのか、
魁皇関を見習い、
フラフラすることなく生きていきたいものです。
今日雑誌を読んでいて素晴らしい言葉がありました。
「誰にでもできることを、誰にもできないくらい続けること。」
お互い頑張りましょう!
やろうと思えばできそうですが、これほど難しいことはありません。
誰にでもできることを続けることに、成功のヒントが隠されているのでしょう。
“やるべきこと”がキチンとできないと、“やりたいこと”なんかできませんしね。