寒い日が続きますね。
昨年末から気になる事があります。
皆様、ご存知かとは思いますが、伊達直人?タイガーマスク?運動
(そう言わせていただきます)を知っていますか?
児童養護施設に漫画の主人公や昔のヒーローを名乗った匿名の寄付が日本列島でブーム?
となっています。
世の中には人知れず、一見地味ですが立派な活動をされている方がおられます。
障がい者福祉と児童養護、職種は違いますが同じ社会福祉という業種に携わっている者として、いつも頭が下がる思い
一方で世間の意見は様々です。
好意的な印象を持っておられる方、懐疑的な意見を持っておられる方。
「タイガーマスクこと伊達直人」だけに主に寄付を受け取っている児童養護施設の意見は?と言うと、ほとんどのスタッフの方は喜んでおられる様に感じます。
ですが「もちろんありがたい」としながらも、私には色々と複雑な気持ちも見て取れます。
子供たちには「多くの方々に支えられて生活ができている」と教え、寄付者には直接感謝の気持ちを伝えるよう指導している。顔の見える関係こそ、教育の根幹と考えるからだ。だが、漫画の主人公の名前では「お礼の言いようがない」と・・・
今までもこういった事例があったかもしれませんが、ひっそりとマスコミに知れず過ぎ去っていたのでしょう。
もちろんマスコミに取り上げられずとも、長年、寄付や慰問をしてくれる支援者もたくさんいるはずです。って言うか、います。
今回のタイガーマスク運動に素朴な疑問。
何故、匿名なのか?
何故、現物の寄付が多いのか?
寄付や募金は日本中、毎日色々な所で行われています。
しかし集めたお金を、どのような使い方をしているのか分からない。
(イメージがあります)
*「受配者指定寄付金制度」を利用すれば、 寄付先や使い道も指定できるそうですが・・・
間違っていたらゴメンナサイ <(_ _)>
これが現物の寄付になると"使われている"、"役に立っている"、"相手が喜んでいる"感があるのではないでしょうか。それもピンポイントで直接施設に自分で持って行く訳ですから・・・
もしかして本当に児童養護施設の窮状を詳しく知っていて"ランドセル"を送ったのであれば、それはそれで素晴らしい。
この騒動は匿名でカッコつけているというより、日本人独特の謙遜や謙虚さから始まったのではないでしょうか?いや、そうであると思いたいです。
騒動の始まりは、昨年末のクリスマスイブに群馬県の児童養護施設へ匿名(伊達直人)の寄付(ランドセルと手紙が勝手に置いてあった)から一気に日本中に広がりました。
日本中のタイガーマスク運動をされてる皆さんは、一番最初の匿名の寄付をマスコミが騒いで、初めて知った児童養護施設の窮状を見かねて寄付をしたのでしょうか?それとも、「寄付をしたい!」そのような想いが常々ありながら勇気が出なかった人が触発された?匿名なら寄付のハードルが下がった気がするので一念発起!いや、もっと軽い気持ちの人もいるかもしれません。
最初に始めた方は、熱狂的なタイガーマスクファン?それとも児童養護施設で幼少期を過ごした方?そんな事はどうでもいいんです。
しかし根底には児童養護施設だけではなく、現在の福祉行政自体がこのままで良いはずがない、と言う認識をみなさん広く共有されている証拠だと思います。
日本では諸外国のように、実名で寄付をするのがステイタスとはいきません。日本にも堂々と寄付ができる文化があれば良いのですが、どうしても「陰徳の美学」みたいな風潮があります。それとマスコミが寄付者を探し出し、正体を見世物にします。
本当は寄付者ではなく、寄付を受けた人物にフォーカスしないと何も見えてきません。
私などに苦言を呈する資格はないですが、このブームが何かイベント性が出てきているのをチョット心配しています。そして一過性の流行で終わらない事を願うばかりです。
これが長く続き、当たり前になって欲しいのです。
私は良い社会現象である事に変わりはないと思っていますので、それでも次々に登場する「伊達直人」を温かく見守りたいと思います。
地域の絆、地縁、血縁はどこに行ってしまったのやら・・・。
公的な福祉サービスが手薄なら、
インファーマルな形でお世話だけでなく、どんどんお節介しなくちゃですね。
もともと戦後の孤児救済云々から出発した福祉法が
今の世の中にマッチしてるはずないのに・・・。
ま、難しい話は置いといて、兎に角こういった精神(誠心)を
じっくり育みたいものですね!”